大森町川西農協、事務所閉所に寄せて
9月16日、私たちの年代が、若い頃、入り浸って過ごし、明日の農業を語り、夢を求め続けた、そのよりどころであった旧川西農協事務所が、度重なる合併を繰り返しついに合理化のもとにその機能を停止することになりました。建設当時は、国の補助事業を導入し、二階部分に、青年達の集い論ずる場所、談話室、ホールを設け、青年部、婦人部の活動の拠点として農村の近代化のため、センター機能を遺憾なく発揮した建物です。1階の事務所部分と合わせて、まだまだ立派なものですが、当分は使われる目途もなく、寂しくその姿を晒すことになります。
昭和30年代の後半、赤字再建団体に陥った旧川西農協を、若い加藤富蔵氏を組合長に迎え、赤字再建と、地域農業の近代化に向けて大きな働きを成し遂げた、真に象徴的な私たちの精神的支柱でもあったのですが、時代の要請と言うことでしょうか、仕方がないと、あきらめの心境でも、何とも寂寞としたものを感じています。

この度は、この農協を舞台に、人生を過ごした方々が、思い出を語ると言うことで集いました。旧役員の方々、職員として過ごした方々、歴代の青年部部長、婦人部部長、先述の赤字再建団体から脱出するため、当時としては農家の方々に理解されない苦境を、強固な意志と、若さで乗り切り、第2次構造改善事業を導入して地域農業の近代化を推し進めたリーダー、加藤富蔵氏を中心に、つきない思い出を語り続ける会でした。
初代川西農協事務所の誕生 (このページ、パンフレットの上段木造事務所)
川西農協誕生の由来を簡単に申し上げておきたいと思いますが、大戦の戦火も熾烈を極めていた昭和16年、これまでの川西村役場(現在の7分団ポンプ小屋のところ)の片隅で執務していた川西村農会と、産業組合が現在の農業倉庫場所にあった旧農業倉庫に仮事務所をつくり、移転したときから独立した新事務所が出来、新しい事務所構想が進められたのです。
それは戦時中とはいえ村の産業経済を発展させ、農家経済を守るには二つの農業団体が独立体制を強化することが必要と考え、後に統合し農業会となるが、すでにこの時から農会と産業組合を実質的業務の一体化によって組織の経営の強化が図られ、当時としてはきわめて進歩的な発想であったと推測されます。
その時の村農会会長、高安正一氏、産業組合長は村長であった佐藤甚八郎氏、常勤役員として高橋富太郎氏、千田忠喜氏等によって運営され、農協の今日ある基盤を作られた。
そして、1年間新築事務所について協議の結果昭和17年度事業として新築決定となっている。
       (旧川西農協広報部の資料より)
農業近代化の幕開け