この度は、この農協を舞台に、人生を過ごした方々が、思い出を語ると言うことで集いました。旧役員の方々、職員として過ごした方々、歴代の青年部部長、婦人部部長、先述の赤字再建団体から脱出するため、当時としては農家の方々に理解されない苦境を、強固な意志と、若さで乗り切り、第2次構造改善事業を導入して地域農業の近代化を推し進めたリーダー、加藤富蔵氏を中心に、つきない思い出を語り続ける会でした。 |
| 初代川西農協事務所の誕生 (このページ、パンフレットの上段木造事務所) |
| 川西農協誕生の由来を簡単に申し上げておきたいと思いますが、大戦の戦火も熾烈を極めていた昭和16年、これまでの川西村役場(現在の7分団ポンプ小屋のところ)の片隅で執務していた川西村農会と、産業組合が現在の農業倉庫場所にあった旧農業倉庫に仮事務所をつくり、移転したときから独立した新事務所が出来、新しい事務所構想が進められたのです。 それは戦時中とはいえ村の産業経済を発展させ、農家経済を守るには二つの農業団体が独立体制を強化することが必要と考え、後に統合し農業会となるが、すでにこの時から農会と産業組合を実質的業務の一体化によって組織の経営の強化が図られ、当時としてはきわめて進歩的な発想であったと推測されます。 その時の村農会会長、高安正一氏、産業組合長は村長であった佐藤甚八郎氏、常勤役員として高橋富太郎氏、千田忠喜氏等によって運営され、農協の今日ある基盤を作られた。 そして、1年間新築事務所について協議の結果昭和17年度事業として新築決定となっている。 (旧川西農協広報部の資料より) |
| 農業近代化の幕開け |