
最近、思い立って本の整理をしていたら、一冊の本が目にとまり、懐かしく読み返しました。
それは、若い頃から大変お世話になった大森町教育長を務められた今は亡き高橋重一氏にゆかりの本だったからです。
本の中身と、高橋重一氏への思い出が重なり、久しぶりに懐かしさで胸が切なく感ずる一時を過ごしました。
高橋重一氏は、旧大森町の武道という山の奥の村に生まれ、決して豊とは言えない村の中で、若い頃から青年活動などを通じて、理想を求めていた方でした。在りし日に「自分は理想主義者だと非難されるが・・・」と語っておられた、あの熱い口調が忘れられません。常人の域を超える多くの人との関わりのあった方だと思いますが、何事にも毒されず、高潔な人生を送られた方でした。
さて、高橋氏の思い出は、いつかの機会に、また掲載することとして、本題にはいりますが、この本は昭和40年代「嫁飢饉」と言われて、農村青年に嫁さんがいない事が、社会問題になっていた時期で、役場の農業委員会や公民館などの社会教育関係機関などが、都会の女性とのお見合いパーティーを企画したり、独身女性男性のリストを作り、結婚相談員を配置して、対策が始まった頃でした。フィリピンや韓国、中国からの国際結婚もこの頃から話題になり、いろいろな悲喜こもごもの話が出た時期でもあります。
そんな時期に、「日本青年館結婚相談所所長」の肩書きを持つ板本洋子さんが、著した本が「ウエイデングベルが聴きたくて」と言う本です。1990年の初版とありますからもう16年前になります。
この本の目次に
○むらが「国際結婚」を決めるとき
○お見合いは南十字星の下で
○酪農青年が燃えて訴えた
○雪夜に消えた韓国人花嫁
○トラクタで嫁こいデモ決行だ
○跡取り娘は恋も出来ず
○山奥なのになぜか嫁の来る村
こんなタイトルが並んでいます。これを見ただけでも内容がわかります。
この本の冒頭の一節がこんな風です。
◎当地域の青年(35歳前後)も、高度成長期の犠牲者です。彼らが就農か進学かと迷ったとき、国を初め、県市町村、農協は、こぞって米作りに邁進し、農業をするものに学問はいらないといって農業をさせたのでした。米価はうなぎ登りに上がるし、黙って米さえ作っていれば一生食っていけると、何も教えなかったのです。
ある日気がついたら、減反政策は始まるし米価は下がるし、女性は自立してしまっていた。
こういう手紙に誘われて山形県新庄市を訪ねた・・・・・・・・・・・・・、
なんか、当時の何かを言い当てているような一節です。
◎仕事とはいえ、毎度農村は嫁不足という声を聞いていると、実際に飽きてしまうことだってある。都会男だってどれだけ苦労しているか。あふれるほどの女達の間で生きていたって思うようにはならないのだから。
そんな折、"嫁が来ている農村地帯がある"という声を風の便りに聞いた。2〜3年に一度聞くか聞かないかの朗報である。なんと珍しいことと思わず新幹線に乗り、北に向かった。
こういう文章で著者が向かったのが、旧大森町の武道だったのです。
◎1989年12月上旬だった。秋田県のJR横手駅におり、車で2、30分走り、大森町役場を訪ねた。雪がうっすらと田を染めていた。高橋重一教育長の案内で、役場からさらに30分くらい走る、途中から山道にはいると突然雪が多くなる。100M走るごとに雪の量が多くなることが私には信じられない。この先人家があるのかと言う思いはあったが、口には出さなかった。
(中略)
たどり着いたところは大森町武道という人口100人、戸数22戸の地区。
かつての分校跡の地区センターに若妻、若夫婦6,7人が集まって、私を待っていてくれた。お茶とお菓子と漬け物が用意してあって、見ず知らずの人なのにまっていてくれたことがとても嬉しくてあったかかった。
そして、若い夫婦たちとの話が、綴られていきます。夫婦のなれそめもそれぞれ紹介されていますが、今読んでみると、当時の若い男性女性が、結婚するときの心境の中に、今時失われてしまった貴重な何かがあります。
時代が進んだと言うことでは、片付けられない、ナンとかもう一度人の心に呼び戻したいものが、行間にあふれます。
◎10年前に結婚したという夫婦は、高校時代の先輩後輩として交際を続けてきた。友達は姑のいる家へ嫁ぐ事はいやがったが、彼女は娘時代、そうは感じなかった。それは彼女の母と祖母がとても仲のよい関係で生きてきたことを、見ていたからだという。むしろ大家族でしかも子供を大自然の中で育てる事が最良だと、親に追われ続けてきたことが、抵抗なくこの山奥に嫁がせた。
この一説を読んだだけでも、皆さんは、どう思われますか?



現在の武道地区 平成18年10月撮影