
昭和46年冬から、旧大森町川西地区に、当時米を作って、冬は出稼ぎしかなかった地区の若者が、出稼ぎのない周年で百姓したいという思いから、5人で仲間をつくり、農業生産集団を作りました。
折しも秋田県は当時の小畑勇二郎知事の下に、集落農場化事業が産声を上げるときでした。その集団こそ「川西農産」という、私達が農業に大きな夢を持って立ち向かった青春の思い出?なのです。
協業体農業を誕生させるため、農協などに相談に行きましたが、少し待てと足止めされた思い出がありますが、次の年から始まる集落農場化事業のスタートに合わせて、待たされていたのでした。
当時秋田市の産業会館というところで、秋田県食糧基地推進大会という日本の食糧基地として秋田県農業の確立を図ろうとする一大イベントがありましたが、昭和47年だったと思います、小畑知事が集落農場化事業の推進を高らかに発表し、県をあげて推進に向かった大会でしたが、小畑知事の挨拶が、私どもが出稼ぎ先でまとめた協業化の設立趣旨と、殆ど同じ内容で、自分たちの進む道に間違いがないと、自信を持った大会でもありました。未だに鮮明に思い出されます。
完全協業の形態をとりましたので、上手くいかない面もありましたが、農業生産協業体として、いまだに続いております。
正式設立が昭和46年11月でしたから、もう足かけ36年の歳月が流れています。
今思えば、話題の品目横断的所得安定化対策、集落営農が目指すものと、殆ど同じ形態を35年前にとっていたと思います。これから集落営農が目指すところは、かつての川西農産なのかもしれません。
当時の少し恥ずかしい気もする写真ですが、先ほど偶然手に入れましたので、紹介します。
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当時珍しかったマスクメロンの栽培です「白南遠」?と言う品種だったかな、 食べると口の周囲がネバネバするほど甘かった記憶があります。 |
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休憩の時間、協働作業所での一こま。 おじいさんが頑張れと激励してくれているところです。 |
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出稼ぎからは脱却はしましたが、冬はこの通り豪雪で、雪かきの毎日でした。 でも、ファイトがわき出ていたように思います。 向かって左端が前の大森町助役になった田口一成さん、次の人が現在のJAふるさと理事高田孝さん、 次の人が、今家裁で頑張っている高田久雄さん、次の人が改良区で理事をしている元JA椎茸部会長高田清茂さん、 次が、私高安進一です。 |