
春、まだ残雪の苗代を、そんなに急がなくてもと思う程に、待ちこがれたように雪を消し、今年の稲作りの始まりをいよいよと気合いを入れて仕事着をきりりと身にまとい、喜々として苗代作業に向かった当時が偲ばれます。
水苗代という苗作りの形態から、折衷苗代という技術が出始めた頃の苗代作業風景です。
丈夫な苗を作ることが、高収穫をえる最初の関門であったわけで、「苗半作」と言われるほど、苗作りには気を使ったものでした。
水苗代では、芽が出る時から、苗を本田に移植するまで水の中で育つことから、どうしても弱い苗になると言う欠点があったことから、当時長野県で生まれた最新の技術で、写真のように畝を作り、種籾を薄蒔きにして、上に燻炭をかけてビニールで覆い、一定の長さになるまで水を張らない苗代作りです。本田に移植する頃にはもう分けつと言って、2本とか3本に茎が増えている状態になっていました。
こんなに丈夫ないい苗を植えたら、さぞかし今年の秋は上作だろうと、期待が高まる春の作業であったと思い出されます。
農業改良普及所という県の農業技術指導機関があって、農業改良普及員と呼ばれる技術指導者が、各村々を回ってこの苗代作りを教えて回りました。米を作っていいれば家族共々生活できた時代でもありました。
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右端のお母さんの作業着は、「はねっこめかき」と言って、はねっこ前掛け、と言うことでしょうか、女性の仕事着として、一般的なものでした。 |
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昭和30年代後半だと思いますが、やっぱり女性パワーですね。 |
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はねっこめかき、のお母さん達です。 ビニールが苗代に張られる最新技術の苗作りでした。 |